三亜市梅山鎮

       

 1939年2月14日に三亜に奇襲上陸したあと、日本軍は、すぐに西方に進み、崖県や梅山地域に侵入した。
 海に面し背後に山がせまっている梅山地域は、海南島西部に向かう交通の要衝であった。
 日本軍はこの地域の村落を包囲し、家畜やコメを奪い、村を焼き、抵抗する村人を殺した。
 日本軍は捕まえた村人に、道路建設、鉱山労働、飛行場建設などを強制した。
 梅山の山岳地域には、抗日部隊の根拠地があった。地域の民衆の多くが、抗日部隊に参加、あるいは協力した。

梅聯村の鉄橋 手前は旧日本軍防衛基地跡
旧日本軍防衛基地 望楼の土台
 梅東村隣りの梅聯村を、日本軍が建設した三亜―石碌間の鉄道が横断している。
 鉄橋の枕木は当時のもの。
 その鉄橋そばの高台に、海から攻撃してくる抗日軍に備える日本軍の防衛基地があった。
   

孫家田さん(1922年生)
 22歳の時、1941年に共産党に入党した孫家田さんは、入党後まもなく、日本軍に殴られ、足を傷つけられたという。その跡がいまも残っている。
 蘇景親さんは、1941年に入党し、日本軍が来たとき山に入り、抗日軍の一員として、炊事などを担当したという。
蘇景親さん(1919年生)
         
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